魅惑の音楽団 誕生秘話

安田しん二が語る、魅惑の音楽団誕生秘話

 

 2005年9月23日、僕(安田しん二)とよすおさん(吉岡よすお)のロック&ポップス・ユニット、バナナスの1stアルバム、『アナログメンズ倶楽部』がリリースされた。

 レコーディングは、僕ら2人が5年の歳月を掛けてコツコツと続けられてきた。しかも、今どきシンセサイザーもコンピューターも使わず、1970年代のレコーディング方法にこだわって、丹念にレコーディングしてきた。

 しかし、このバンドと言うかユニット、始めからライヴなどは想定せずにレコーディングをしてきたので、1stアルバム発売後も特にライヴなどの活動予定がなかったのだった。

 

 このバナナスは『アナログメンズ倶楽部』リリース以前、ミラクルシャドウと言う3〜4人組のバンドであった。僕とよすおさん以外のメンバーを何度か入れ替え、最終的には2人になってミラクルシャドウとして活動をしていた。ミラクルシャドウは1stアルバム、『奇跡の影』をリリースしており、『アナログメンズ倶楽部』は、実質上このミラクルシャドウのセカンド・アルバムとしてレコーディングが始められたのだった。だが、『アナログメンズ倶楽部』発売直前に、僕の突然の閃きと言うか、きまぐれで、バナナスとバンド名を変えてしまったのだった。実はミラクルシャドウ時代も何度かバンド名を変更したりして、またミラクルシャドウにバンド名を戻したところだった。

 

 因みに僕達は、このミラクルシャドウを名乗る前にも、更にまた2〜3度バンド名を変えており、人数は最大時で8名もいた。活動時期は、たしか91年か92年頃から97年頃までだったと思ったが、最初は3名くらいのユニットからのスタートだった(よすおさんはまだ参加していなかった)。

 因みに最初、僕はこのバンドでは歌とギターが担当で、ドラムは他の人が叩いていた。

 そして当時から、僕の「アナログ指向」は強く、ビートルズ、クイーン、トッド・ラングレン、フィル・スペクター、ビーチ・ボーイズと言った、「録音指向」のアーティスト達の影響を強く受けていた。 バンドも同じ様な音楽の趣味のメンバーが集っていた。 

 よすおさんはこのバンドの結成1年後に2代目のベーシストとして加入していた(1993年)。知り合った切っ掛けは、僕が当時、浅香唯ちゃんのバンドのミュージカル・ディレクターみたいな事をしていたのだが、そこのバンドにベーシストとしてやってきたのがよすおさんだった。
   と言うわけで、僕はミラクルシャドウの前身のバンドの前任のベーシストをクビにして(ごめんね)、後釜によすおさんを誘った。よすおさんとしては、始めはリハバン(プロが趣味でやるバンド)の一つにでも混ぜてもらう位の軽い気持ちで参加したみたいだったが、まさかそれがこんな腐れ縁になるとは、当時からは思いもしていなかっただろう。 もちろん、僕もそう思う。

 

 ミラクルシャドウの『奇跡の影』もバナナスの『アナログメンズ倶楽部』と同じコンセプト(ノン・デジタル)でレコーディングされた。しかし、『奇跡の影』の時にはあまりみられなかったのだが、『アナログメンズ倶楽部』を制作した当時、僕が民族音楽に影響を受け始めた為(特にフォルクローレ)、ところどころその片鱗が伺える作となった。ただ『奇跡の影』のレコーディングの時も、中国の二胡奏者のジャー・パンファンさんに3曲弾いて貰ったり、その他にもシタールや足踏みオルガンなどの楽器を導入してはいた。因みに、この中に収められている「朝日を見に行こうよ」(二胡がフューチャーされていた)は、後にSMAPによって別アレンジでカヴァーされ、ヒットした。

 

 『アナログメンズ倶楽部』のレコーディング中、僕は当時ボリビアのフォルクローレ・グループ、ムシカ・デ・マエストロスのメンバーである菱ちゃん(菱本幸二)と知り合った。

 実は知り合ったと言うよりは、僕が菱ちゃんに無理やりにコンタクトをとり、強引に友達になったのだった。その後、自称「菱ちゃんの友達」の僕は、菱ちゃんに『アナログメンズ倶楽部』のレコーディングに参加要請をし、1曲だけケーナとシークを吹いて貰った。正直、その演奏の素晴らしさに、僕はぶったまげた。菱ちゃんの吹くケーナは、実に立体的な音像で、シークもしかりだった。

 

 菱ちゃんは、様々なボリビアのグループで活躍していたが、タイピ・カラと言うグループのレコーディングにも参加していた。この時リリースされたCDが僕の愛聴盤で、僕がフォルクローレにはまっていく切っ掛けの一つとなった。

 

 これまで何人かのフォルクローレ愛好家と会ってきたが、それまでの僕は、愛好家の方達は「フォルクローレ一筋!」的な人が多いなぁという印象を持っていた(別に悪い意味はない)。だが、僕が初めて菱ちゃんと会った時の印象は、フォルクローレ以外の音楽にも強い好奇心と意欲を持ってる人だなぁ、と感じたのだ。

 

 ミラクルシャドウ時代、ラジオ番組でライヴ録音をやったことがある。

 

 その時、ギターを弾いてくれたのが長谷川君だった(長谷川友二)。

 

 長谷川君とは、よすおさんに会う前からの知り合いだった。

 初めて長谷川君を観たのは、藤沢のライヴ・レストランで、彼が弾き語りを演ってるところだっただろうか?

 僕はそれまでギター・ソロを聴いてビックリした事はあったが、バッキングの巧さで驚いたのはこの時が初めてだった。1本のギターで色々と表現して行くのだが、まるでピアノの演奏を聴いてる様な感覚だった。

 その後、ラジオ・ライヴの時に初めて共演し、実際に彼の伴走で歌ってみて感じたのだが、歌のバッキングでこれほどメロディを引き立たせるギターはそうはいないと思った。

 

 しかし、長谷川君とはそれ以降、共演する機会が無いまま時が過ぎて行った。

 

 話は最初に戻るが、バナナスの1stアルバム『アナログメンズ倶楽部』が出てから暫くした頃の話である。エンジニアの青ちゃん(青野光政。当時、バナナスのマネージメントみたいな事もやってくれていた)が、「ザ・芸者ストリングス・カルテット」と言うストリングス・カルテットのレコーディングで那須に行く事になり、その時のアシスタントをなんと図々しくもよすおさんに頼んでしまったのであった。

 よすおさんはとても人がよく、普通ならアシスタントなんて断るところ、よすおさんもよすおさん、「いいよ」と返事してしまったのだ。普通、エンジニアのアシスタントは20代の若手の仕事だ。よすおさんもその辺無頓着で、本人としては、ちょうどいい暇つぶし位の想いで同行したのかもしれない。

 

 ザ・芸者stQ。4人全員が芸大出身の為、その様なグループ名かと思っていたっが、どうやら他にも深い意味があるらしい……。

 

 これは、あとから青ちゃんから聞いた、そのレコーディングの時の話なのだが、ザ・芸者stQがポピュラー・ナンバーのレコーディング時に、リズム関係の事で、どうにもクラシック的には解釈が困難なところがあったらしい。その時よすおさんがそのポップスのリズムの解釈の仕方を彼女達に解りやすく教えたのだそうだ。すると彼女達はすぐさま飲み込み、よすおさんはまたたく間に彼女達からの信頼を勝ち得たのだそうだ。それから彼女達と意気投合したと言う事だが、そりゃそうだ、よすおさんは本来はレコーディングのアシスタントではなく、れっきとしたプロのベーシストなのだから。

 

 この時のレコーディングは、場所が那須と言う事もあり、泊まり仕事だった様だ。当然、レコーディングの後は飲み会になる。ザ・芸者stQ&スタッフ、プラス、バナナス&スタッフ、マイナス安田しん二の飲み会が始まる。つまり僕はここにはいない。。。。。

 

 と言うわけで、夜の飲み会になったのだが、よすおさんと青ちゃんは酔った調子でバナナスのアルバムを弦カルのプロデューサーに聴かせたのだそうだ。すると、凄く気に入ってくれて、その場でプロデューサーがザ・芸者stQと共演して欲しいと言ってきた。その頃はちょうど、ザ・芸者stQのチェロ奏者が産休に入る事になっていて、この共演は、1st&2ndバイオリンとビオラ、それに僕のドラムと、よすおさんのベースでちょうどよいと考えたらしい。

 その青ちゃんって人は、こう言う話の時に、僕がどう思うかも分からないうちに、勝手に自分の独断で話を盛り上げてしまうところがある(マネージメントは本来それでいいと思うが……)。

 そして数日後、那須から帰ってくるなり僕に「ねえ、ザ・芸者stQと共演してみない?」と言ってきた。本人は、「ただ(芸者stのプロデューサーに)聞かれただけ」と言うが、きっと僕のいないところで、既にその共演話が盛り上がってたのだろうと、僕は思ってた。それよりか、そのプロデューサーではなく、青ちゃんが調子に乗って、自分から話を持ちかけたのではないかと、僕は疑っていた。

 因みに僕と青ちゃん、歳は青ちゃんの方が10歳上だが、お互いを呼び合う時、僕は青ちゃんと呼んで、青ちゃんは僕を安田さんと呼ぶ。なんだか僕がえばってる様でいやなのだが……(一応、永年の親友でもあるし、青ちゃんの考えそうな事は、僕はだいたい解ってるつもり)。

 

 実はこの頃既に僕の頭の中には、魅惑の音楽団みたいなバンドを作りたいと言う構想があったのだが、昔、青ちゃんに一度この話をしたところ、簡単にあしらわれてしまった。ピンと来なかったのだろうと思う。そりゃそうだ。例えば、ビートルズみたいなバンドとか、ジャズのコンボとかって、具体的に前例があれば分かり易いが、僕の頭の中でもまだ妄想段階であったのだから。

 

 話は戻る。。。。。

 普段なら青ちゃんから「ねえ、演ってみない?」と言われたら、僕は「別にいいけど……」と言う風になるのだが、でも待てよ、、、、僕はここで閃いた。でもって、「嫌だ」と言ってみた。

 僕はいつもそうやって青ちゃんやよすおさんを振り回してきた。この際、悪いとは思いつつ、妄想バンドの為に青ちゃんに苦労して貰おうと僕は考えてしまった。

 もしも、このザ・芸者stQとの共演話が僕のいないところで勝手に盛り上がってないのだったら、青ちゃんは、「分かった。先方にそう伝えとく」で話は終わるはずだ。だが、この時の青ちゃんは「!!!」みたいな感じでそうとう慌てていたのだった。「安田さん、どうだったら、演ってくれるの?」と聞いてきた。ほらね、やっぱり、既に話は勝手に盛り上がってるんだ。僕が「演らない」と言ったら、青ちゃんの顔が潰れてしまうと言うのはあきらかだ。

 

 う〜〜む、これを巧く使えば、僕の妄想バンドは実現するぞ。フフフ……。

 

 

 明ちゃん(稲葉明徳)と僕は面識がなかった。が、よすおさんからよく、篳篥を吹く友達がいると言うのと、サックスを吹く友達がいる、と言う話をちょくちょく聞いてはいた。だが、その篳篥の友達とサックスの友達がまさか同一人物だったとは!!!そうか、あの篠笛吹くって言う友達も同一人物だったんだな!?どうりで友達が多いと思ったんだ。よすおさん、そんな凄い友達がいるってナンで早く教えないんだ!!と、よすおさんに怒ったが、逆ギレされ、よすおさんは、「言った!」と言う。だが、いや、絶対に言ってない。あのよすおさんの数人の友達たちは、実はひとりの信じられないようなマルチ・プレイヤーだったのだ。

 

 菱ちゃんに明ちゃん、それにギターで長谷川君。この時の僕の妄想と言うか夢は、この3人と一緒にプレイする事、しかも同時に同じバンドで。

 青ちゃんのオファーに対し、僕は彼の足下を見て「この3人も入れてくれたら、その企画演るよ」と言うと、「あんまり人数多くても……」と言う。ああ、そうですかぁ、だったら演らない。ここでわがままを言わないで、いつ言う?「青ちゃん、この3人と一緒じゃないとオレは演んないよぉ〜ん!」

 僕の決意を感じ取った青ちゃんは、真っ青になって直ぐに先方にそれを伝えてくれた。しめしめ、あとは、当の本人達が「演る!」と言うかどうかだった。

 

 幸い、長谷川君も菱ちゃんもオファーを快諾してくれてた。明ちゃんにはよすおさんから話をして貰う事にした。僕が思うに、普段人に物を頼まないよすおさんの誘いを断る人はそうはいないだろうと思っていた。

 数日後、よすおさんが「おい、演るってよ」と言ってきた。後で分かったのだが、僕とよすおさんには荒木君と言う共通の友達が1人いて、明ちゃんとはその人繋がりと言う事だったのだ(その荒木君と僕とは高校の時からの付き合いで、アマチュア時代も何度も一緒にバンドを組んだ仲)。

 

 実際に明ちゃんのプレイを聴いて、ホントにぶったまげた。凄い、モンスターだ。菱ちゃんもしかり、二人の共演は正に異種格闘技戦の様だった。

 そして長谷川君の存在も大きい。僕とよすおさんは凄い仲間を得た気がした。

 

 芸者ストリングスの面々はとてもチャーミングで、演奏もとてもゴージャス。

 総勢8名のメンバー同士の息も何度かリハーサルを重ねるうちに段々と合ってきた。今回の企画自体『芸者ストリングスとバナナスのジョイント』と言う事だったので、自然とバンドの名前も「芸者&バナナス」と呼ぶ様になっていた。

 

 この頃、ムネゾー君(宗像仁志)が一度リハーサルを見学に来た。昔、青ちゃんがムネゾー君をマネージメントしてた関係で、パーカッショニストを必要としていた僕が青ちゃんに頼んで呼んで貰ったのだ。実はこの時が僕とむねぞー君との初対面になるのだが、同じポップス系の作曲家同士、お互いに名前だけは知っていた。ムネゾー君はパーカッション以外にも、ギターやベース、歌も歌えるとの事で、まさしく僕が求めてるタイプのミュージシャンだった。

 しかし、ムネゾー君とはこの時はスケジュールが合わなくて、残念ながら参加するところまでは話は進まなかった。彼は今でも、この時の事を悔いているのだそうだ。ま、いいじゃん、今一緒なんだから。

 

 2006年9月10日いよいよ本番。那須は『弦楽亭』での芸者&バナナスのライヴは大盛況で、何よりも、自分達がもっとも楽しむ事が出来た。メンバー達はここの宿泊施設に2泊し、わいわいとバーベQをしたり、しみじみ飲んだりと、演奏後もその余波を満喫し、親交を温め合い、同時に仲間意識が生まれた。

 

 芸者ストリングスはこのライヴのあと、僕らとは今後のお互いの健闘を祈り合い、本来の自分達の活動へ戻って行ったが、他の男5人衆は、ここで解散するのはもったいないと誰もが感じていた。

 

 

 僕ら5人は、今後も活動を続けて行こうと言う事になった。名前もバナナスとしてではなく、全くの新しいバンドとしてスタートしようと思ってた。とりあえず、仮の名前で、僕はこのバンドを勝手に「魅惑の音楽団」と呼んでいた。

 

 先ずは、何かレコーディングしてみようとなったのだが、やはりストリングスは欲しいところである。メンバーに誰かストリングスの心当たりはないか聞いてみたら、明ちゃんが、「!、そうだ!いい人達がいる!」と言った。

 

 今明ちゃんが手伝ってるグループがあって、そこで同じ様にストリングスの面々が弾いていると言うので、僕は観に言った。何処だったかは覚えてないが、都内の地下の暗いライヴ・スポットだった。そして、演ってる音楽は物凄くアヴァンギャルドなものだった。メンバーはバイオリンのみぽりん(工藤美穂)、この時はビオラを弾いてたコバちゃん(小原直子)、それにチェロのともさん(井上とも子)と、やはりトリオだった。

 

 僕達はたしかこのライヴのあと、学芸大学かその辺りの台湾料理屋さんで合流する事になっていた。よすおさん、菱ちゃん、それに長谷川君も台湾料理屋さんにやって来てくれた。

 

 いきなり初対面が飲み会になったのだが、やっぱりこの弦の方達も物凄くお酒が強いと言う印象を受けた。全員で紹興酒を何本空けたかは分からないが、最後はみんな気持ちよくなって、すっかり盛り上がってしまってた。しかし、考えてみれば、明ちゃんもみぽりん達も、あちらの打ち上げとかはなかったのだろうかと、僕は心配していたが、そんな他所様への心配も結局最初だけだった。

 数日後、男衆5人は伊豆にある僕の仕事場でレコーディングをした。そのあと、東京に戻り、弦トリオのダビングと言う予定だった。

 

 弦ダビングの当日、スタジオに先に来て、トリオが来るのを待っていたら、一人の女性がバイオリンのケースを持ってスタジオにやって来た。「あのう……工藤さんは?」と聞くので、みぽりんのマネージャーか誰かが、みぽりんの楽器を持って来て、先に着いてしまったのかと僕は思った。でも、バイオリンにしてはケースが少し大きいかなと、僕は感じた。

 

 みぽりん、コバちゃん、ともさんはスタジオに3人でやって来た。先に来た女性からバイオリンを受け取って演奏を始めるのかと思いきや、スタジオに入るやいなや、みぽりんは「あれ〜?椅子と譜面台が3個しかないじゃん!」とか言っている。しかも、みぽりんとコバちゃんは自分のケースを持っているではないか。その女性もスタジオに入って来て、ケースを開けると中からビオラが出てきた。

 あれ?あれ?あれれ?トリオだと思ってた弦隊が4弦のカルテットになっている。しかも、この間ビオラを弾いてたコバちゃんはバイオリンを持っているし……。

 どこでどう話が曲がってしまったのか分からないが、どうやら彼女達はカルテットで考えていたみたいなのだ。僕らが困惑していると、ともさんは「信ちゃん、クラシックではカルテットって4人の事を言うのよ」と言っている。僕は、カルテットはクラシックでなくても4人だし、この間の時は3人だったのに何故4人になったのかが不思議だったのだ。

 で、僕とよすおさんとエンジニアの青ちゃんはあわてて椅子と譜面台を用意して、マイクもその様にセッティングした。

 そして、演奏を始めると、なんて素晴らしい音なんだ!音の暖かさ、福よかさと言い、抜群のリズム感と息の合い方に僕はすっかりのされてしまった。天然に喋ってる会話もただ者ではないが、こんなスケール感の大きい演奏をするこの人達はただ者ではないと、直ぐに僕は理解出来た。

 その証拠に、エンジニア歴40年の青ちゃん、今まで何百、いや千回以上のストリングス・セッションに参加している青ちゃんが、「素晴らしい音だ!ヨーロッパの弦だよ」と、もっとも驚いていた。

 何故4人になったかは未だに分からないままだが、今となってはビオラのまちゃさん(佐藤雅子)が来てくれて本当に良かったと思っている。

 そんな経緯でまちゃさんもこのグループに参加する事になった。冗談みたいな話だが、これは本当の話なのだ。この時の話は今でも笑い話として、酒を飲んだ時に必ず出るのだが、何故そうなったかの経緯は、未だに弦の誰に聞いてもがよくわかっておらず、永遠の謎となって迷宮入りしてしまっている。

 

 レコーディングの数日後、みんなでバンド名を決めようと言う事になった。いろいろアイデアを出そうとしたが、菱ちゃんの「僕はその魅惑の音楽団って言うのがいいと思います」と言う一声で、じゃったらと、魅惑の音楽団にあっけなく決まってしまった。

 

 こうやって、はれて魅惑の音楽団は結成された。